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- 平生村(近世)とは
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平生村(近世) 江戸期~明治7年の村名葦北郡のうち湯の浦川河口左岸,平生岳(天見岳)の東麓に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」19石余延宝3年の芦北郡湯浦手永小村限御帳(岩崎家文書/芦北町誌)では,「加子村」と付記され,水夫役を負担,同帳による人数66,竈数10,船数6うち7端帆1・6端帆1・5端帆1・3枚帆3「肥後国誌」では湯浦手永に属し,高16石余,海岸に大明神祠があると記される明治3年の佐敷郷御通筋御手鑑帳(芦北町立図書館蔵文書)では,戸数40・人数254,郷士5人,牛馬23,船5熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同7年女島村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平生村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」